ストレッサーズ


4


『賢、オレは。』
耳元に暖かい息。棒読みの芝居の台詞みたいだ。違和感にずり上がる体を押さえ付けられ。
『オレは、何があっても。何を聞いても。』
心臓が跳ね上がる。息が詰まって苦しくて。
「もういいっ!充分だ、わかったから!」
「最後まで聞けよ!」
押さえ付ける力がふわ、と軽くなる。
『いーか、賢、オレはお前の事好きだから。大事だから。それはタケルの事だって同じなんだぞ?』
ボクの顔の両脇に手をついて体を起こして。一乗寺が呟く。
「・・知ってた、本宮は。」
頭の中でその新しい情報が処理される間、ボクはバカみたいに一乗寺の顔を眺めていた。




しばらく起き上がれそうにない。じんじんする目を手で押さえる。一体今日は何だったんだろ、なんだかもう、全てがどうでもいい。一乗寺が小さくため息をついて、心地良かった重みが離れてく。

「・・高石。」
名前呼ばないでよ、返事なんか到底。
「高石。」
目を覆っていた手を剥がされる。
「目、開けろよ。」
「・・イヤだ。」
ひっそり一乗寺の息遣いが遠くなって、そうだよね、何時までもこんな。
「一乗寺。」
「何?」
なんでそんな優しい声を出すんだろう。紋章の無駄遣いもいいとこだ。
「・・電話、しなよ。大輔くんの所。」
「え?・・ああ。・・もう遅いし。」
「じゃあ、メール・・」
「ショックだったのか?まあ。分からなくもないけど。」
「そういう君は。どうなのさ。」

淡々とした一乗寺の語調に引っ掛かりを感じて、目を開けてみる。暫らく強く目を閉じていたせいで、全てに暈がかかって見える。柔らかく光を取り込む白い頬、後光みたいに灯りが髪を取り囲んで。

「むしろ、せいせいしたかもしれない。」
少し間を置いて、一乗寺がぽつぽつと続ける。
「何となく分かったって。本宮が。」
「大輔くんに、何がわかるって?」
そろそろと体を起こす。
「さあ。ただ、分かるような気がするって。」
「こっちは分からないよ、さっぱりだ。」
「考えるな、心配すんな、進め!の本宮論法だからね。」
「少しは何か考えた方がいいよ、大輔くんも。」

何が可笑しいんだか、一乗寺が声を上げて笑う。笑うところな訳かな。いいけどさ。少し頭がすっきりしたような気がして、ボクは座り直して一乗寺の顔を覗き込む。

「で。君、これからどうするの。」
「どうって。来いって言ったのは高石だろ。」
「それは今の話だよ。今後どうするのかって。まあ、聞く権利なんてボクにはないけど。」

一乗寺が僕を見る。距離を物語る澄んだ眼差し、胃の辺りが痛いのは晩ご飯にありつけなかっただけではなく。そうだよ、いい機会じゃないか。ボクだっていつまでもこんな、不毛っていうか。イライラするばっかり、どうせならもっとあったかい関係だって誰かと築けるだろうに、もし一乗寺がもうイヤだと言ってくれさえすれば。

「高石はいつも。答えを用意してから僕の都合を聞く。分かってるんだろ、今だって。」
「わからないよ。」
「僕はずっと怖かったからだと思っていた。君の・・。」
「うん。」
「でも、今は。」
「最悪の事態はもう。起きてしまったよね。」

それがボクにとっても最悪だなんて君は思いもしないんだろうか、ボク達みんなの子供だった世界が崩壊する、欺瞞の上に成り立っていたのだとしても、大切にしてきたつもりだった。少なくともボクは、ね。
「最悪?」
少し首を傾げて言うもんだから。
「最悪でしょ。」
「何が。」
「君ねえ。大輔くんが勘づいたって事は。」
一乗寺は悪意のある笑みを浮かべる。
「へえ。それが君にとっての最悪?」
図星を指されたんだろうか。さっきまで確かに最悪だと、でもこうして言葉にしてみると。
「まさか。君のだよ。」
吐き捨てるように、そんな風に聞こえただろうか。そうであって欲しい?何かがざわざわ胸の中で動き始める。
「僕は別に。もっとひどい風評の中にずっといたし。それに、本宮はそんな事気にしてない。」
「だからっ!」
なんでこういつも。・・大輔くんには適わないんだろう。

「ああ、そうだよね、君と大輔くんは分かり合えるんだった。」
お手上げだよ、全く。だらっと座って、もうどうにでもしてくれって。
「君の過去の過ちなんてさ、屁でもない訳だ。今まで心配して損しちゃったよね、考えてみれば、前からとっくに実証済みだった訳だし。」
「君は・・許せない?」
「ボクの話なんかしてないでしょ。」
一乗寺は床に手をついて、身を乗り出してボクを正面から見つめる。夜遅いせいか幾分くたびれた髪が頬を滑り落ちる。
「さっき、君は。どんな風に本宮が僕を・・って。その。あれは、僕を許さない事が前提だったのか?」
「・・許すも許さないも。」
一乗寺の目は暖かく弛んで、まるで。
「調べるって。どこをどう調べるつもりだった?」
まるで、いっぱいキスした後みたいな。
「ボクは真面目な話をしてるつもりだけど?」
声が上ずってしまうのは多分、きっと、疲れてるせいだ。
「僕もだ。」
「嘘つき。」
「嘘じゃ・・」
「大輔くんの話も全部嘘でしょ。」
勝手に上がった手が一乗寺の顎に触れる。頬の線を辿って、髪を耳に掛けて。
「疑うんなら。調べてみれば?」
ほら、笑ってるし。
「・・スケベ。」
「君だけには言われたくないな。」
「物足りなかった?大輔くんじゃ。」
答えは僕の舌が吸い込をでしまう、ちゃんと聞きたかったのに、この先こんな機会はないだろう。でも、もう。
「たかい・・し・・」
首の後ろにまわった手に力がこもる。柔らかい髪、なだらかな背中、触れたら終わりだってわかってるのに。
「大輔くんってキス下手なの?」
こんな柔らかい唇、下手なヤツなんかに絶対。
「知らないよ。」
「嘘つき。」
結局こうなってしまう、目の届く所に居るだけで触れたくなって、触れてしまえばもっとって。だから月の裏側に行ってしまえばいいのに、だなんて。
「高石の最悪って。」

摩擦で皮が薄くなってしまったみたいな唇、くっつけたり離したりの合間に一乗寺が呟く。もう起こってしまったんだ、と。それって疑問形?首の後ろ支えてそっと横たえる。まだ忘れてない傷が疼いて、一乗寺は少し身を竦める。絶対に触らせてくれない時期もあったな、なんて。何かを惜しむようにボクはそこに口を寄せる。

「正確には違う、と思うよ。」
「なぜ、本宮に知られる事がそんなに。」
軽く歯を立てて、仰け反って震える喉にも。
「大輔くんに、じゃないよ。」
「ヒカリ・・さん?」
「ヒカリちゃんは、知ってたんじゃないかなあ。」
君たちはどこか似てるから。彼女の力になれなかった分を、君で取り戻そうとしてたのかも知れない。
「そうなんだ・・」
語尾が少しかすれる一乗寺の独特の。
「特定の誰かじゃなくて。」
「僕が、昔・・」
「そんなの、憶えてるの、君だけだよ。」
ボクの笑いが君の喉元でビブラートする。
「やっぱり、僕が。男・・だから?」
あはは、なるほどね。それも確かにかなり格好悪いか。 「一乗寺がどうこうって言うんじゃないよ、多分。・・言ったら怒るだろうな。」
鼻先を擽る髪。くすくす笑いが止まらない。
「言えよ、怒らないから。」
「ホントに?」
「今更何を怒るって言うんだ。」
だって君は怒りんぼだから。シャツのボタン外して保険を掛ける。息を呑む気配、そっとなめらかな胸を指で辿って。
「カッコ悪いでしょ、仲間内でくっつくのなんて。」

擽ったそうに震えてた一乗寺の動きが止まる。顔を覗きこむと、ぱちぱちまばたきする睫毛がボクの頬に当たりそうになる。

「高石!僕は真面目に・・」
「真面目だよ、大真面目。」
「そんな・・」
「お兄ちゃんがさあ。空さんと付き合い始めた頃。」
肘をついて半身を起こして、一乗寺がボクをじっと見る。
「本人たちはさ、有頂天っていうか。まあ、そんなもんだったんだろうけど。太一さんなんか気を使っちゃってさあ。なんかギクシャクしてたでしょ、みんな。」
「僕は・・気付いてなかった。」
「そりゃそうだよ、大変な時だったんだから。なのにさあ。」
「うん、確かに。それどころじゃなかった。」
「ああ、これはダサいな、って。肝に命じたつもりだったんだけど。」

一乗寺の膝に頭を落とす。次の言葉がみつからない。実際、こんなの最悪の事なんかじゃない。

「本当にそれだけなのか?」
「うん。」
「君って・・。」
「最低?」
「わからない。どうして君は。」
躊躇いがちにボクの髪に伸びる指。
「君もそうなんだろうって思ってたけど?」
「僕は。最初から仲間だった訳じゃないから。」
ごろんと仰向けになって、長めの垂れ下がった髪に触れる。
「君はなんて言うか。ボクよりずっと。まあ、それもさあ、もうどうでもいいよね。問題は、さ。これからどうやって誤魔化すかで。どうせ言い訳なんかしてないんでしょ、大輔くんに。それとも、事細かに話したの?ボクとどんな事してたか。」


一乗寺の指が止まる。今ボクは、最悪の事態を自ら呼び込もうとしてる。













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