ストレッサーズ


3


結局その日はそのまま解散って事になった。落ち着かない気分のまま、伊織くんとエレベーターで別れて、部屋に入るなり電話に飛び付く。
二人ともまだ帰ってなかった。

「当たり前か。」 思わず声に出してしまって、もしパタモンがいたらなんて言うだろうな、なんてさ。

心配しないでタケユ、あの二人なら大丈夫だよ。

「だから困るんだってば。」
危ない人みたいに呟きながら、頭に浮かぶのは最後に見た一乗寺の顔。しばらく会ってなかったものだから更新作業が追い付かなくて、この三年分の断片がまとわりついた立派なオカズ画像に変貌する。




消えなかった違和感は醗酵し、変質する。二度目の冒険が終わって一年程たって。あの頃デジタルワールドはひどく不安定で、この世界へのゲートは全て閉じられ、行き来できない状態だった。あの世界の歪みに影響を受けやすい者もいる。彼がそうであろう事は予想できたのに。目の前で苦しむ一乗寺にどうしてやる事もできずに、その時、本当に偶然他に誰もいなくて、当たり障りのない会話が突然中断されて。何もしてやれない。彼は大輔くんの名を呼ぶ。何度も何度も。僕は大輔くんじゃない。無力感はひどく簡単に憤りに変わって、あっけない程。揺さぶって、殴りつけてやりたい衝動に駆られ、いや、そんなのは間違ってる、彼は被害者なのだから。ずっと気になって力になりたくて、タイミングを逸してきた。思いきって暴れる身体を抱きとめてみても、ボクの方なんて見もしない。闇を追い払うのは光なんかじゃない。光は闇をいっそう濃くするだけだ。暗いところが怖くなくなる方法って知ってる?ボクの問いかけにやっと顔を上げて、縋るように見上げる無防備な目。彼が自分の手の内にあるんだというぞくぞくする感覚。ボクだって怖いんだ、君がそんな風に苦しんでるのを見てると。助けてあげたいんだ。これはホントの事。ずっとボクを見なかった君を、暴力以上の力で滅茶苦茶にしてやりたいぐらい腹を立ててるっていうのも。怒りと欲情は似ている。大人になるとどうして夜が怖くなくなるんだと思う?ボクは知ってるよ。ひとりの夜に自分でみつけた解決策。ボク達の利害が一致するなんて、思いもしなかった。一乗寺がそれを受け入れるなんて思いもしなかった。振られてバンザイ、これでお終い、ケリつけてやる、のつもりでいたのに。所詮そういうお年頃、人間なんてスケベなもんだってだけの事なんだろうか。一乗寺は初めてだった。自分で弄ったことすらないらしく、呆気無く弾けさせて。ボクはそんな彼を鼻で笑って、抱きしめた。そして言った、ありったけの軽蔑を込めて、大輔くんでなくてごめん、と。彼は怯えて竦んでしまったんだろうか、それともボクのやり方がお気に召した?ゲートは閉じたまま、あの世界は安定したかして、彼が不安定な状況に陥ることがなくなっても、ボク達の関係は続いた。もう言い訳なんか存在しないっていうのに。わかってる、ボクは彼が欲しいんだ。ただの自己肯定のため、悪くすれば性欲の捌け口だとしても、必要な事に変わりはない。だけどそれがお互いにとって何になるっていうんだろう。無力感は収まりなんかしない。ボクなんかを受け入れる彼にイライラする。潔癖な彼が好きなのか、いやらしい彼が好きなのか、そもそもホントに好きなんだろうか?思い出して思い描いて、自己嫌悪に陥っての繰り返し。新規の魔除けの儀式、子供でなくなれば選ばれなくて済むんだろうか、そんな事はわからないんだけど。不利なカードばかりで勝負するのって、本当に。窓の外、赤茶けた空が広がる。ソファに寝転んで眺めるともなしに。




気が付いたら辺りはすっかり真っ暗になっていた。慌てて時計を見る。十時十分。時計屋のディスプレイの時間だ、なんて、何考えてんだ、自分の頬をひとつ張って。少し考えて一乗寺の家に電話してみる。まだ帰っていない。母親の心配そうな声。大丈夫ですよ、本宮くんと一緒ですから、なんて言ってる自分の声。気がついたら靴をつっかけていて。田町までの所要時間。おそらく大輔くんは、駅まで一乗寺を送る。金欠だそうだから、田町迄は行かない筈。ゲームしてみようか、下らない賭け。もし捕まえられなかったら。ホームへの階段に座って、自分の馬鹿さ加減に今更ながら。

田町迄の所要時間、この時間帯の電車の本数。もし、一乗寺が先なら、彼が家に着く迄に捕まえるのは不可能だ。大輔くんの家に泊まるなら、とっくに連絡してるだろう。うちに泊まる時だって、いつも十時迄には連絡を入れていた筈だ。まだまだ宵の口なんだろう、沢山の人が通り過ぎて行く。酔っ払いの嬌声、人目も憚らず抱き合うカップル。構内アナウンスと混じりあうこんなざわめきの中で、はっきり聞こえるなんて、ホント、地声大きいんだね、大輔くんって。

「ホントに、大丈夫か?」
「あんま、気にすんなよ?」
「じゃあな、着いたら連絡すんだぞ、メールでいいから。」

聞こえる筈のない軽やかな足音が頭の中に響く。今、彼は歩いてなんかいない筈だ。大輔くんに手を振って、去っていく後姿なんか眺めて。それから慌てて携帯を取り出して、今から帰るからって。何度も母親に謝って。発車時刻を確かめて、走りだす。でも、残念だけどその電車には君は乗れないんだ。
・・もうそろそろかな。ボクは立ち上がる。


「たかい・・し?」
「どうしたの?うれしくないんだ?今日、君はボクに会いたかったんでしょ。」
横をすり抜けようとする一乗寺の腕を掴むと、一瞬の硬直の後、弛緩する体が一々性的な連想を呼ぶものだから。

「どっちがいい?」
一乗寺の背中を壁に押しつけ、顔の両脇に手を突っ張って、わざとらしくボクは問う。
「どっちって。」
「君んちがいいか、ボクんちがいいか。外ってのもいいかもだけどさ、この季節はちょっとね。」
一乗寺がボクを見据える。真っ黒な瞳が周りの風景ごと僕を映し込んで、よそよそしく光る。キレイな青みがかった白目の部分、舌を突っ込んでぐしゃぐしゃに潰したらどんな感じだろう。
「..随分お喋りなんだな。」
落ち着いた声音。最後に見た一乗寺はちょっと触っただけだっていうのに、今にもイきそうな顔をしていて。
「君こそ。随分すっきりした顔してさ。」
「そんな話だったら、僕はもう。」
顔を背けて逃げようとするから肯定したのも同然。行かせまいと掴んだ腕を弱々しく押し返す仕草がまた。構内アナウンス、電車が入って来る。人の波が吐き出され、ごった返すホームを見上げる一乗寺を引きずるように階段を下りる。
「高石!」
「どっちみち、あれには乗れないよ。」
また、この目だ。どうしてこんなに中途半端に従順でさ、まだあの頃をひきずってるんだろうか、幸福になる資格なんかないとかなんとか、それを習い性にしたのはボク、かな。君に付け込んでスポイルしてきた。


「うちに電話しなよ。ボクの名前出してもいいから。」
「駄目だ。帰らなきゃ。」
人が疎らになった駅構内、一乗寺はもう声に諦めを滲ませている。
「帰さない。」
つくづく、君に関してはパッションの強い方が勝ちだと思うよ。
「心配かけたく・・」
「納得はしないだろうけど。何かあるとは思ってくれると思う。何度も電話してるんだ、君の家に。」
うなだれていた一乗寺が顔を上げる。
「僕の家に?何故?・・携帯は・・」
「大輔くんと一緒だったでしょ。」
「・・だからって。」
もの問いたげに一乗寺は黙ってしまう。それを肯定と受け取って、ボクは彼を促し、改札で適当な事情を説明してなんとか払い戻して貰い、駅を出る。
「大輔くんならもっと良かったんだろうけどね。」
「何が?」
「高石君じゃ、ちゃんとしたお家の子って訳にはいかないからね。」
「そんな言い方・・。」

終電迄、まだまだ電車はあるんだけれど。きっと寝ないで待ってるだろうから、早く電話しなよって、苦しい言い訳を聞きながら、彼がまた傍にいる事、その為に彼が犠牲を払っている事に本当に満足しているんだろうか、と自問する。

「・・ごめんなさい、ママ。」

一乗寺は小学生の頃奇妙な放浪癖があり、お陰で彼の両親は中学生の現在もやたらに息子を心配する。その反面、彼らが一人だけ残った息子が「本当に」いなくなってしまう事を恐れて、ほぼ言いなりに近い状態な事に当の一乗寺は気付いていない。自分の一挙一動を見張られてる感じ、普通だったら耐えられないよ。こんな事言いながら実際今彼を追い詰めてるのはボクなんだけど。やってる事がバラバラだ。理屈はつけられるけど本当には共感できてないんだろうな。ボクの母さんなら例え電車がなくなっても、泳いででも帰れって怒鳴るだろう。結局は許してくれるんだろうけど。夜風に煽られる少し前を行く黒い髪。決然としているようにも途方に暮れているようにも、どちらにも。




後ろ手に鍵、なんてホントに有効な手段なんだろうか。一乗寺は探るようにボクを見ながら突っ立っている。彼がいるだけで、その空間は非日常に変わる。それは見慣れない成熟期デジモンを従えて一人で立っていた頃と今も変わらない。

「脱いで。」
一乗寺の目が見開かれる。
「何・・」
「調べるから。聞いても答えてくれないでしょ。」
「調べるって。」
青白かった頬が見る見る桜色に染まってく。
「わかってる癖に。まあ、下世話な興味もあるんだけどさ、大輔くんがどんな風に・・」
ビシって歯切れの悪い音と、意外な程の痛み。指の先だけの平手打ち。

「本宮をっ・・そんな風にっ!」

これって痛いんだよね、おそらく殴られたこっちよりも殴った当人の方が。口元を拭う。今度は血なんか付いてないってわかっているのに、わざとらしくその手を見る。口で適わなかったら暴力、ってのはボクの方だ。言葉で表現できなかったら、って言う方が正しいかな。やっぱり痛かったらしく右手を庇って顔をしかめてる一乗寺の襟首を掴む。反撃を予想してか、目を閉じて体を竦ませて。

「全く君は。ボクを一体何だと思ってるのさ。」

恐怖と諦めの匂い。ぎゅっと結ばれた唇を解すように自分のを押し付ける。もうわかってるよね、これがボクの「暴力」なんだ。あれ以来彼を殴った事なんてない。そんな必要はなかったから。そして一乗寺は、あれ以来、正当でない暴力を振るう事を避けていた。彼の意に沿わない事をいくらしても、本当に手を上げられた事なんてなかった。

ずきん、と頬が疼く。自分より大切な誰かの為だったら、君はそうしてまだ。

急に腕から力が抜けて、ボクは一乗寺にもたれ掛かる。

「ごめん、言い方が悪かったね。」
ひんやりした頬を掠めて小さな耳に辿り着く。
「これが最後だから知りたいんだ。大輔くんはどんな風に君を抱いたの?優しくしてくれた?」
一乗寺の手がボクの腕を握り締める。ぐい、と押し退けられて、紅潮した頬、強い目、キレイだなんて今更。急に体重を掛けて床に倒され、乱暴に抱き締められる。













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