夢から覚めたボクはまた夢を ≪1≫








夢を見た。
夢と現を気持ち良くさ迷っていたのに、リアルな感触に飛び起きた。
その気持ち悪さにそれまでの夢の欠片が霧散してしまった。

「あ〜……」

別段、ショックではなかった。だってボク等の年頃じゃ、早いヤツはもう。
とうとう自分の番だなって。
たったそれだけの感想。でも取り敢えず後始末が厄介。洗濯機に放り込めるほどボクは豪傑じゃない。手洗いかな、やっぱ。
洗面所に向かって歩いて行きながら、ふと夢の断片が蘇ってきて暫し立ち止まる。
……あれ?もしかして、かなり気にしてる?



最近になってようやく頑なだった一乗寺くんの心が解れてきて、少しずつ微笑んだり、仲間に歩み寄ろうとしたり。こないだなんか、大輔くんと京さんがいつものようにじゃれ合ってるのを見て、堪えきれなくなったふうに声を上げて笑ったんだ。その様子を見た皆がちょっと驚いて、でもそんな一乗寺くんを好ましく受け入れた。
ボクだってかなり心を砕いて彼の事を見守ってきたさ。
でも、彼のそういうちょっとした変化が、最近なんだか妙に。心のどこかをちくりと刺激する。
何かの拍子に大輔くんと目配せし合って微笑んだり、本人達は無意識なんだろうけど、いつのまにか固く手を繋ぎ合ってたり。ボクが一生懸命話しかけてるのにあまり目を合わせてくれない事とか、体が触れるとびくっとしてすぐに離れたりとか。あんまりおもしろくないんだよね。ボクには心当たりがあるだけに、あまり彼を責められないとは思うけど。



今朝のボクを至福の絶頂から奈落の底へと突き落としたのは、他ならぬあの日の出来事。
デジモンカイザーだった一乗寺くんは、あの日まるで手応えが感じられなかった。ボクに殴られるまま、馬乗りにされて。夢はあの日の出来事を忠実に再現していて、それがどうしてああいう結果になったのかといえば。ボクの体の下でカイザーだったはずの彼は、いつのまにか普段の一乗寺賢になっていて。夢って不条理なもんだから、不思議だなって思ったけどまあ、そこはそれ。頬を殴りつける感触、痛みに歪んだ顔、ボクの脚の下のほっそりした体の感触、それらすべてがどこか僕を高みに押し上げて。



急に気が変わったボクは手にしたそれを洗わずにゴミ箱へ放り投げると、思い立って部屋へ駆け戻って行った。





************







公園の入り口、辺りは夕闇に包まれて、家路を急ぐ人達はボク達にはほとんど注意を払わない。
走って来たばかりの一乗寺くんは息を整えようと大きく肩で呼吸をしている。

「なんの理由で帰るって言ったの?大輔くんは納得してくれた?引き止めたでしょ」

「うっ、うん、ママに頼まれてた買い物忘れてたって言って。それで……大事な話しって?」

「……少し時間ある?ボクの家、来ない?」

返事を待たずに歩き出したのに、黙ってボクについてくる。
振り向かなくても気配でわかる、俯いて心もとなげな君の様子。
マンションのドアを開けて先に入るように促すと小さな声で、お邪魔しますなんて、いつ如何なる時でも君はお行儀がいい。
リビングのソファを勧めて、僕はキッチンにお茶の用意をしに行った。カウンターの中から君の方を見たら、居心地悪そうにソファに浅く腰掛けて。ボクと眼が会ったら首を傾げて君は作り笑いをした。……そんな様子に胸が痛んだりなんて。

「ティーバッグの紅茶だけどいい?一応ダージリンだけど」

「あ、お構いなく……」

お湯が沸くまでの僅かな時間、間がもたないよ。君の視線が落ちつきなくさ迷う。しょうがないから、あまり気乗りしないけど話題を振ろう。

「今日は大輔くんと何して遊んでたの?」

「えっ、うん。最初は本宮…くんの家で勉強してたんだけど、集中出来なくなっちゃって最後には校庭でサッカーをしたんだ」

「ボクからのメールが来たの、大輔君は気付かなかったんだ?」

「本宮くん、ちょうど水飲み場に走って行っちゃったから」

「そっか……、サッカー。だから汗かいてたんだ。ボクが走らせたせいかと思ってたよ」

ちょっと慌てた一乗寺くんは赤くなりながら、指で前髪を梳く仕草を見せた。なんだか急にからかってみたいような気持ちになってボクは、一乗寺くんの側に近付いた。ソファの傍らに立って、極力自然な感じで。

「どうして一乗寺くんはこんなふうに髪伸ばしているの?」

髪を一房掬い上げながら、何気なく切出して見る。たったそれだけの事だったのに、一乗寺くんの体が固まった。
それでも動揺を隠しつつ、精一杯笑顔で応える彼が痛々しい。

「ずっと、マ、母に切ってもらってて……母はあんまり器用な方じゃないから、手のかからないようにって……」

「ふ〜ん」

髪を暫く好きに弄らせてもらって、その手触りを確かめる。指を差し入れるとひんやりしていて、しなやかな弾力、さらさらと指の間を零れる手触りが気持ち良くてつい。無意識のうちに……項に触れた。

「あっ!」

途端に手を払われた。それをした一乗寺くん自身が驚いていた。目を大きく見開いて、何かを言おうとして言葉が出ない。

「ごめん……、そこ触られるの嫌なんだよね?昔、怪我した所だから?」

その時、キッチンのヤカンが音を立てて、気まずさを抱えていたボクは慌てて駈け寄った。お湯をカップに注いで、それとなく一乗寺くんの様子を盗み見る。俯いてて顔の表情が読めない。溜め息をひとつ。

「え、と。一乗寺くん、お砂糖とミルク入れる人?」

トレイにカップ二つ、捧げもってボクはさりげなく声をかける。返事なし。俯いたまんまで、膝の上で握り締められた拳が白く血の気を失ってる。トレイをテーブルの上に置くと、ボクは一乗寺くんの前に跪いてそっと手を重ねた。

「ねえ、ごめんね。なにか喋ってよ」

そこでようやく顔が上げられて。戸惑いながらも目が合わせられて、なにかを言おうと唇が動いてるけど、声は。

「なに?聞こえないよ、一乗寺くん」

「あ、あの……大事な話しってなに?僕、もうそろそろ帰らなくちゃ」

ほんとは今すぐ走って帰りたいんだろうな。ボクと居ても楽しくなさそう。少なくとも大輔君と一緒に居る時に見せる表情はボクに向けてはくれない。じゃあそろそろ本題に入ろうか。

「ボクね、今朝夢を見たんだ。夢の中に君が居たよ」

ふっと表情が消えて一乗寺くんはボクをじっと見つめた。無防備な瞳を覗き込んだら、自分でも嫌になるくらいどこか邪な自分の顔が映って見えた。ボクは乾いた唇を舌で湿らせて、ゆっくりと言葉を続ける。

可哀相な君は、もうボクの手の中。









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