春の道
通いなれた小学校までの道、見慣れた校舎を通り越して、ボクは中学校の門をくぐる。真新しい制服、襟元が窮屈で気になっ てネクタイを少し緩めた。新しい教室に入る。少し緊張。でもほとんどが小学校から上がってきた顔見知りばかり。机に座っ て、ボクは見るとはなしに出入り口の扉を見ていた。小学校のときから割りと仲良くしてた女の子がにこやかに近づいて来る 。意識の半分、扉の方に残して少し話してるうちに、待ち人来たり。 「よう!タケル」 「タケルくん、おはよう」 見慣れないせいだけじゃなくて、制服自体がしっくりこない大輔くんの傍らには一乗寺くんが微笑んで立っている。現実とは 思えない光景。未だにボクは信じられない思いなんだけど、なんと一乗寺くんは、お台場中に入学してきたんだ。 春休みに入ってすぐの、選ばれし子供たち皆で集まった暖かなあの日が事の発端だった。どこか言いにくそうに言葉を濁しな がらも、意を決して切り出した一乗寺くんの話の内容にボク達は大騒ぎになった。京さんなんか両手を組んじゃって目をキラ キラさせちゃってさ。大輔くんだって一乗寺くんの両手をがっしり掴んでおおきく振りながら、良かった良かったっていつま でもしつこく。 ボクはといえば…突然だったせいもあって、ただぼーっとして何も言ってあげられなかった。一乗寺くんは微笑んで、そんな ボクに一言だけ言った。どこか誇らしげにも見える笑顔。 「4月から同じ中学だね、よろしく」 そして入学式の日、ざわつく生徒たちの注目を集めながら、一乗寺くんはグリーンのブレザーを着てボクの目の前に現れたの だった。一時はその非凡ぶりがもてはやされて、テレビに出たり雑誌に取り上げられたり、世間に名前が知られていた彼は、 一定の距離を置きながら周りを取り巻く観衆に辟易してたみたいだけど。大輔くんがいつものあの屈託の無さで、その輪から 一乗寺くんを引っ張り出す。そうこうしてるうち、周りの関心も徐々に薄れて、彼の評価もある程度毛色の変わった子供のう ちの一人っていうスタンスで落ち着いてきた。もちろんボクだって、第三者的な立場に甘んじていたわけじゃない。ボクと大 輔くんと一乗寺くんは、常に一緒だった。無意識のうちにボクも大輔くんも、彼の防波堤になろうとしていたのかもしれない 。 「あのさー、今日俺んちで宿題やんね?」 「いいけど……。大輔、今日もサッカー部の体験入部だろ?遅くなるんじゃないのか」 「あ、じゃあさ、ボクの家で先に宿題してるから、後から大輔くんも合流するといいよ」 「あぁ?!」 大輔くんがサッカー部に入らないはずが無い。もう卒業してしまったけれど、太一さんも所属していたその部に大輔くんは一 乗寺くんも誘ったようだったけど、彼は二度とサッカーのチームに入るつもりは無いらしい。結局、光子朗さんと京さんが居 るパソコン部に決めたのだった。ボクはといえば……。小学校の頃から続けていたバスケをやるつもりだった。でも残念なこ とにそれは叶わなかった。それはボクにとって感傷的な思いにとらわれる出来事ではなかったから、格別どうという事もない けれど。 「桜……すっかり散っちゃったね」 「あー、ほんとだ」 わざわざ桜並木の下の道を選んで歩く。入学式の時、一乗寺くんが薄桃色の絨毯のようだと評したその道は、今ではすっかり 薄茶けた色を呈している。見上げれば、紅色のがくの部分だけを色濃く残した梢。春特有の強い風が、並んで歩くボク達の髪 をめちゃくちゃに翻していく。しばらく黙ったままで歩いていた。ボクは唐突に切り出す。 「そういえば、君んとこのおばあちゃんの具合どう?お母さん、そろそろこっち来れるって?」 「あ……うん。いくらか前の事も思い出したみたいだけど、まだ身の回りの事までは……」 ふと我に返ったような表情で答える一乗寺くんは、再び黙り込んだ。その様子から見ても、あまり良い状況じゃないのが見て 取れる。 「ちゃんとご飯とか食べてる?インスタントばっかりじゃないの?」 「君と一緒にするなよ」 むっとした表情で即座に答える。当たらずとも遠からずなのかもしれない。ほんの少し顔色が悪い。隠してるつもりの、憂鬱 そうな横顔。再び沈黙に支配されて、ボク達は春の海が見える道を辿った。変わらず風の強い道を。 「あー!かったりぃ!!いいからノート見せろ」 「少しは自分の力でやったらどうだ?それじゃ大輔のためにはならないよ」 ボクと一乗寺くんはさっさと課題をやってしまい、ゲーム雑誌を捲りながら取りとめも無く話をしていたところに、大輔くん がようやく現れた。ブレザーを乱雑に放り投げて、どかっと床に座る。そしてしばらく教科書とにらめっこしてたと思ったら 、すぐに根を上げたようだった。 「結局一乗寺くんは見せてあげちゃうんだよね。甘いよ」 「まぁ、そう言うなって」 一乗寺くんのノートを丸写ししながら、大輔くんは今日の体験入部でいかに自分が活躍したかを、あんまり嬉しそうに話すも のだから。一乗寺くんは、怒ることも忘れて自分のことのようにそれを喜んでいる。いつもの事だよ。ボクは半分呆れつつも 、二人のやり取りを耳に入れながら雑誌のページを繰る。一乗寺くんと二人っきりの時、前のように気まずい雰囲気が流れた りする事はなくなったけど。ボクの言った冗談に笑ってくれる事が増えても、それでも大輔くんには叶わない。最初から勝て るなんて思ってないから、別にいいんだ。だから二人が盛り上がってる時は、ボクは他の何かに熱中してる振りをする。なの に今日は、ボクはついうっかり反応してしまった。 「出張?一乗寺くんのお父さん?」 「ん。だから俺んち来いって言ってんだけど、こいつ変に遠慮してんだよ。まだ引越し荷物片付いてないってのに、ここんと こバタバタと……。災難だよなー、賢?」 「別に変な遠慮なんてしてるわけじゃないよ。ただ……。それに出張って言っても一週間なんだ。それくらい一人でもどうっ て事ないよ」 「一人増えようが、うちは元々賑やかなんだし気にすんな!」 大輔くんにおでこを叩かれて、一乗寺くんがちょっとむくれる。一乗寺くんが遠慮して誘いを断ってるわけじゃないってのは 、実はボクには薄々わかる。大輔くんの家族は、こう言っちゃなんだけどミーハーだからなあ……。そういうのに慣れてない と少し疲れるんだ。だからボクは、雑誌に目を落としたまんまで、ほんとに何気なく言ってしまった。 「食べるのに困ることはないと思うけど、最近物騒だしね。なんならうち来る?母さん放任主義だから楽だよー」 「えっ?」 一瞬、一乗寺くんと大輔くんが動きを止めた。視線に気付いて顔を上げたボクの目に、大輔くんの嬉しそうな表情が飛び込ん できて、まずい事を言っちゃったのかな……って思いが一瞬胸を掠めた。けど、後悔先に立たず。先人の言うことは、何かと 正しい。僕は身をもって知る事となった。 |