ブリア・サヴァランかく語りき


3




マンションを離れるとすぐに明るい町並み、まだまだ宵の口にもならない。楽しそうな人の群れ、こうして手を繋いで駆けていく僕達は一体どんな風に見えるんだろう。

「お腹すいた?」
ようやく立ち止まって高石君が僕の顔を覗き込む。少しね、と僕が答える。
「どっか入ろうよ」
「でも、こんな格好じゃ」
ホコリと泥のこびりついたジャージに、もしかしたら汗で塩を吹いてるかもしれないようなTシャツ。
「フツウじゃない?ストリート系だと思えば全然問題ないよ」
高石君が言うと妙な説得力がある。
「・・そうかな」
「高いお店なんて入れないしね、どっちみち」
「そんなつもりは・・」
格好なんか気にして、女の子みたいだなんて思っただろうか。
「ゴメンね、地元民の癖に」
悪戯っぽく笑って、高石君は僕を促して歩きだす。
「本宮もぼやいてた、この辺りはやたら高いって」
「デートにはいいんだろうけどね」
「高石君、デートなんかするんだ」
前を行く白い帽子を見ながら、ぼんやり思った事がつい口をついてでてしまい、慌ててゴメンと付け加える。
「うーん、今なんかも狭義のデートなんじゃない?」
振り返って、また手が差し出される。それって僕が女の子みたいって事だろうか。黙っているとぐい、と手を引かれて。
「デートってさ、待ち合わせって意味らしいよ」
「僕達は待ち合わせてなんか・・」
しまった、余計な事を。気を悪くしてないだろうか、顔を見ようにも帽子の後ろ頭しか。あはは、と笑い声、ちゃんと顔色を伺う(?)為に僕は歩みを速めて高石君に並ぶ。
「じゃあ、ランデブーだ。これだったら遭遇って意味もあるし」
そう言えばフランスとのクォーターだって聞いた事が。
「宇宙船みたいだね」
我が意を得たり、とぎゅっと手を握られる。高石君ってすごく頭がいいんじゃないだろか。僕の語彙は例の偽りの天才の時期に形成されたのだけど。
「ここでいいよね?」


そこは本宮と何度か来たことのあるファーストフード店だった。時間帯が時間帯だけに、かなりの人でごった返している。
「一乗寺君、財布持った?並んどいてくれる?えっと禁煙席は・・」
僕の荷物を引ったくると、高石君はさっさと席を確保に行ってしまった。こんな所は本宮と似てる。単に僕がぼんやりしてるだけかもしれない。新商品を口早に勧められるがよく分からないので、いつもと同じ無難な注文を済ませた頃、高石君が「お待たせ!」と必要以上に大きな声で列に割り込んで来た。

「何頼んだの?チーズバーガーセット?じゃ、ボクもそれ。それから単品でもう一つ。」
マニュアル通りなのだろう、僕の時とまったく同じ声音でリズムで店員さんが注文を繰り返す。
「それから、ハンバーガーはパティ抜きでね?」
「・・は?お客さま、そう致しますと、その・・」
困ったような表情の店員さんの顔を見上げて、高石君はにっこり笑った。
「ボク、ベジタリアンなんです」
店員さんはじろじろ高石君の顔を見て、一瞬睨み付けるような表情をしてから振り返って奥に注文を伝えた。

「本当なのか?」
「何が?」
トレイを持って人波を避けながら席に向かう。
「ベジタリアンって。大変だろ、給食とか」
「まさか。お肉大好きだよ。一緒に肉マン食べたでしょ」
高石君は朗らかに言って、確保してあった窓際の席にトレイを置いた。
「でも、さっき」
「婉曲的表現だよ、ネコ肉は食べたくないからね」
「ネコ肉って」
自分の注文した分をまじまじと。
「聞いた事ない?深夜にメンテナンスのアルバイトが、立入禁止の部屋に入ってみると・・」
辺りを慮るように声をひそめて、高石君の青い目が近付いてくる。さっきの店員さんもこれで騙されたんだろう、僕なんかが菜食主義だなんて言ってもふざけてるだけだと。
「その部屋は大きな桶で埋め尽くされていて、その中には・・」
「・・知ってるよ」
いくら僕でもどんな話か大体予想は。
「緑色の成熟期デジモンがうようよと!」
「・・頂きます」
僕はハンバーガーの包みを開いてかぶりついた。
「なんてね、ネコ説とネズミ説とミミズ説があるんだ。初めて聞いた時は泣いちゃったよ」
「誰が?」
口に出してしまってから、つい本宮に言うような調子で言い返していた事に気がついて、しまった、と。高石君は気付いてないみたいに言葉を続ける。
「本当だよ。みんなしてそりゃおどろおどろしく描写してくれちゃってさあ」
ずずっと音を立てて飲み物を啜る。
「それに。今の、笑う所だったのに。面白くなかった?ワームモンがうようよって」
「ワームモンは成長期だよ」
高石君の動きが一瞬止まって、それから急に咳き込み始める。
「大丈夫?」
僕は背中を擦るべきなんだろうか等と考えながら高石君の様子を伺う。
「・・気管にオレンジは効くよね」
「痛いよね、頬の裏側とか」
同情しているように聞こえるだろうか。本当は笑いを堪えているだなんて。
「リンパ腺?」
「さあ」
「ま、どこでもいいけどね」
涙目で残りを飲み下して高石君が立ち上がる。
「行こう?」
片手にトレイ、片手を僕に差し出して。どうしたものかと思案していると、ほら、と促される。
「どうして手を繋がなきゃならないんだ?」
「イヤ?」
「恥ずかしくないのか、高石君は」
手を引っ込めて肩を僅かに竦める。今日何度見ただろう、癖なんだろうか。
「背に腹は代えられないよ。一乗寺くんってさ、すごーく簡単に迷子になりそうじゃない?」
「それは高石くんの印象?もし本宮から何か吹き込まれているなら・・」

そういえば、今年もこの二人は同じクラスだそうだ。本人は知らないだろうけど、僕は本宮経由で高石君の話を結構聞いている。本宮独自の解釈ではあるんだろうけど。僕は、本宮が言うふざけてばかりいるような印象は持ってなくて、どちらかと言えば。

「あはは、さすがだね、当たりだよ。」
・・どんな事吹き込んでるんだよ、本宮の奴。
「いつもフラフラいなくなるのは本宮の方だ。」
「目立つし、ぼーっと立ってるから見つけやすいって。あ、それも貸して?」
黙ってトレイを差し出す。
「大輔くんがそんな事言ってたもんだから、つい」
どさどさとゴミをごみ箱に放り込みながら、高石君がにっこり笑った。本宮に言わせると、これが最高に嫌味なんだそうだけど、僕もその説に賛成かも知れない。
「君たちっていつも手を繋いじゃったりしてるのかな、なんてさ。風に飛ばされてバラバラになったりしないようにね」

一瞬花畑で手を取り合う僕と本宮の映像が浮かんで、ご丁寧に本宮がゴーグルの代わりに花輪なんか被ってたものだから。

「・・どうも君とは笑いのツボが合わないよね。今の、笑う所じゃないんだけど」
高石くんはまた肩を竦めて僕の笑いの発作を眺めている。
「高石君が変な事言うから・・」
「それにさあ、その高石くんってやめてくれない?年下の伊織くんだってそんな堅苦しい呼び方しないよ?」

言い方や表情はのんびりしているのに、指でも突き付けられて詰問されてるみたいだ。こんな風に感じるのは僕だけだろう。僕は彼が苦手だから。負い目を感じているから。仲間だと何度言われても消えない違和感。不意に浮かぶ、僕の顔色を伺うように覗き込んできた本宮の表情。僕なんかと親しくなったからどうだと言うのだろう。僕が変わらない限りは同じ事を繰り返すだけだ。本当に僕は変われないんだろうか。

「いいけどさ、イヤならもちろん」
前にもこんな事があった。手を差し伸べてくれた高石君に素直になれなくて、ちゃんと話す事もできなかった。直接話掛ける事も避けていた。ジョグレスパートナー同志で行動なんて言う原則もあったし、それどころじゃなかったのも事実だ。でも高石君は歩み寄ってくれた。それが無ければ伊織君は僕を許してくれなかっただろう。

「なんて呼べばいいんだろう」
まるで独り言だ。高石君は僕にとって何なんだろう。どういう位置にいるんだろう。うらやましかった、高石君が。選ばれし子供なんて僕一人だろうと思って、孤独と孤高を履き違えて。暗黒の種はどんな土壌にだって芽生えた訳じゃない。
「大輔くんを呼ぶのと同じように呼んでよ」
「本宮を?呼び捨てって事かな」
「まあね」

友達なんかいなかった。友達の作り方なんて知らない。差し出された手を握る口実が欲しかった。共通の敵なんてもういないんだ。

「高石く・・高石も僕の事、一乗寺君って呼ぶのやめてくれるかな」
僕が変わらなくちゃいけない。つまらない意地やプライド、失敗を恐れる臆病な心、そんなものは。
「もちろんだよ、物には順序ってものがあったからね」
腕を組んで視線を宙にさ迷わせ、考え込んで。
「あー。うっかりしてたよ、ボクとした事が」
「・・え?」

一瞬頭をよぎる、闇を決して許さないと言った彼の厳しい語調。君がどんな奴だか忘れてた?君を見張らなきゃ、またあんな事にならないように?そんな事言う筈はない。例え心の中で思っていたとしても。

「こんな大事なこと、ごみ箱の前で話すなんてさあ」
頭を掻き毟る真似、舌を出して。高石君は僕の顔を見て眉をひそめた。
「イヤかな、やっぱり。迷惑?」
「そんなんじゃない!」
叫んでしまって慌てて口を押さえる。
「なら、いいけど。面白いね、一乗寺くんって」
「くん、って・・」
「あは、照れるね、何だか」


「・・あ」
D-ターミナルの着信音。
「大輔くん?」
「そう言えばメールするって」
蓋を開けて発信者を確認し、その彼にしては長い文面にざっと目を通す。

< 結局てんやものになったけどあんなマズいラーメン初めてくったもー家ついたか?電話していいか?返事くれよ! >

「大輔くん、なんて?」
「ラーメンがまずかったらしい」
「そりゃ大変だ」
また茶化してるのかと思ったら、高石君の顔は真剣そのものだった。
「ごめんなさい、ちょっと通してくれないかな」
ちょっと怒ったような女の人の声。そうだった、ごみ箱は皆で使う物だ。
「すみません!」
僕等は慌てて店を出た










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