ブリア・サヴァランかく語りき


11



「賢ちゃん、遅かったのね、楽しかった?」
母親の声で我に返る。自動操縦でマンションのドアの前まで来ていたらしい。
「ごめんなさいね、お喋りしてたら遅くなってしまって。すぐお夕食にするから」
「あ、ゆっくりでいいよ、実はその。ハンバーガー食べてきちゃって」

一瞬怒られるかと、でも母はにっこり笑って、育ち盛りだもの、待ちきれないわよね、と。この人はまだ僕を許してないんだ。いや、許してないのは僕の方なんだろうか。土産の絵葉書を渡して今日見た展覧会の話を簡単に。高石君っていいお友達ね、という母の言葉に友達にいいも悪いもあるんだろうかといちいち引っ掛かりを覚えて居たたまれなくなる。支度が出来たら呼んで、と部屋に逃げ込んで。

椅子の背もたれを軋ませて。深呼吸して、鞄からガサガサ耳障りな音がする袋を取り出す。そうだ、水を用意しなくては。白と水色の到底食物とは思えない色合いの粉を混ぜ合わせ、鼻につく甘ったるい匂いに辟易しながら練り合わせる事30秒。何とも形容のしがたい黄緑の物体が出来上がる。
「何をやってるんだ、僕は」
備え付けの小さなスプーンについたそれを眺める。どうして白と水色で黄緑になるんだろう。こんな物を小さい子供の口に入れるなんてどうかしている。目をつぶって思い切って舐めてみる。
「うわあ」
ぶじゅ、と甘い気泡が舌の上で潰れる。これは不味いなんてもんじゃない。スプーンの先でつついて、餅のような、それでいて粉っぽいざらっとした感触を今更ながら。
「でも、食べなきゃ」

・・貰ったんだから、なんてこじつけだけど、これを食べれば僕は変われるかもしれない。天使に貰ったんだから、疑ってはいけないんだ、例えどんな味でも。一まとめに丸めて口に放りこむ。聖体拝領、なんて言葉が浮かんで、口一杯のねとねとした粉を吐き出しそうになる。こんな事を考えるなんて、どうかしている。けれどそれ位僕は卑屈になってる。ずっとこのままだなんて御免だ。


なんとか飲み下して、キッチンから持ち出した水を呷る。口の中のザラザラがなかなか無くならない。
「はあ・・」
お腹に手を当てて、さあ、どうなるんだ、僕は。伸びる?縮む?そんな事があるわけがない、ここは現実世界でこれはただの工場で大量生産されたお菓子だ。けれどどんな物であれ、僕達は思いの力で好きな様に変えてしまえる。自分自身だってきっとそうだ。僕は首の後ろに手を当てて、何かの波動が感じられないか、息を止めて待ち受ける。

「賢ちゃん、お夕食・・」
ノックの音、僕は慌ててプラスチックの容器をごみ箱に突っ込む。
「どうしたの、電気もつけないで」
「あ、うん」
気付かなかった、部屋は真っ暗だ。
「パパも待ってらっしゃるわよ」
「今、行く」
少し不審げな母に笑いかける。
「どうしたの?ご機嫌ね」
「そう?」
「最近、賢ちゃん楽しそうだからママもうれしいわ」
「そうかな」
母がこんな風に言うのは、僕がここの所よく出歩いているせいだろう。
「そうよ。ママだって子供だったんですもの。何してても楽しくてしょうがない頃ってあったのよ」
灯りがついて、眩しさに目をすがめる。
「ママ」
「なあに?」
母の笑顔は少女のように無邪気そうで。
「今わかってる事が昔わかってたら、なんて考えた事、ある?」
言ってしまってから、まずい質問だったと唇を噛む。
「賢ちゃん?」
僕の名を呼ぶ母の声が少し震えていたのが気のせいなら。
「それは勿論、一杯あるわ。でも」
子供を亡くした人に僕はなんて事を言ったんだろう。
「ごめんなさい、ママ、僕は・・」
「今は幸せよ」
母は僕の肩に手を置いて、お味噌汁が冷めるわよ、と笑った。


いがらっぽい喉のお陰で夕食はあまり食べられず、代わりに少し大袈裟に今日の出来事を両親に話して聞かせる。以前の僕は所謂芸術には興味がなかったので、彼らは良い兆候として受け取っているようだ。つまり、あの一連の事件から僕が回復し、新たな天分を獲得しつつあると。僅かな胸の痛みと共にどうしても拭えないちぐはぐな感じ。部屋に戻って机の上の派手な色彩の袋を横目で見ながら、僕はD-ターミナルに文字を打ち込んでは消去する。本宮に、高石君に、僕が与えられる全てのものに応えなければならないのなら、どんな下らない事だってそれが僕なのだと言い切れれば。


相手を失望させてしまっても、それでその相手が離れてしまっても。僕は耐えられるんだろうか。結局何も送信せずに就寝時刻となり、常夜灯を眺めながら、そういえばもう以前のようにただ暗いだけで恐ろしいなどということはなくなったなと。それでも枕元の定位置の空白はやはり寂しい。手を伸ばして撫でるふりをする。くすぐったそうに少し身を縮める仕草や僕の名を呼ぶ声。自然と笑みが零れる。眠りにつくまでの数刻、僕はすぐそこにあった答えを探す。そうだね、今わかっている事が全てじゃない。きっとまた、君みたいな友達ができるよ。










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