雨の降る場所





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青い空に真っ白な入道雲、ベランダに干された洗濯物がはためいてるのが見える。夏休みももうじき終わるっていうそんな一日。床に座ってぼんやりと空と洗濯物を見ていたボクは、今日はこのまま部屋の中で一日過ごすことになるだろうなあ……なんて考えてた。

「タケル〜、お前も手伝ってくれよ!」

大輔くんの声が情けなくひっくり返る。大輔くんは夏休みの課題が全然終わってなくて、こうして今必死の追い込み中なのだ。隣で算数ドリルを覗き込んでいた一乗寺くんの表情が険しくなる。この二人の間に入るなんて真っ平ゴメンだよ。ボクは曖昧に微笑で返す。

「それ終わらなきゃ、遊びに行かせないからな!」

ほーら、一乗寺くんはああみえて意外と教育熱心なんだから。夏休みが終わったからって、課題の提出は9月1日じゃないよ。少〜しだけ猶予があるんだ。それでも几帳面な彼は、きっちり31日までには仕上げてしまうつもりなんだろう。わかったらさっさとやるって言いながら、ドリルの端っこをトントンと叩く。まるで大輔くんのお母さんみたい。ボクはもう一度、洗濯物に目をやって小さく溜息を吐く。夏はまだしばらく終わらないけれど、もうじき学校が始まる。学校が始まったら、……いつもと変わらない日常に戻るだけ。言葉には上手く言い表せないけれど、ボクはほんの少しの違和感を抱えていたんだ。もしかするとそれは、大輔くんも一乗寺くんも。今年の夏は、夏らしい夏とは言いがたくて、照り付ける日差しがじりじりと肌を焼く日が数えるほどしかなかったけれど。それでも皆でプールに行ったり、海浜公園で花火したり、誰かの家に集まってテレビゲームしたり。でもどんなに楽しい一日だったとしても、ボクはふと思い出してしまうんだ。慟哭っていうのがどういうものかを知ってしまったボクには、そんな風に泣く子どもたちが居るって事を。それが思い出の大部分を占める、この夏一番の出来事だった。

「……あのなぁ……。あいつら、まだこっち戻ってきてねえみたいだぞ」
「ほんとに?!」

大輔くんがドリルに目を落としたままでぼそっと呟いた言葉に、ボクは即座に反応してしまった。大輔くんによれば、ジュンさんは今のところまだデジタルワールドへ行き来しているらしい……。

「体力が回復していないってことじゃなさそうだね?」

一乗寺くんは、無表情とも取れる顔つきで。隣の大輔くんがにやりって笑って顔を上げる。まるで何か企んでる時みたいだ。

「あいつら存分に楽しい思いしてるらしいぞ」
「ああ、もう!なんでもっと早く言わないんだよ」





それから大輔くんから細切れにデジタルワールドの情報を聞き出すのは、至難の業だったけど。いつものボクだったらとっくにキレて、大輔くんの頭を一つ二つ引っ叩いてたかもしれないけれど。今回は、今回だけは別で、ボクはゆっくりと、大輔くんから聞きかじった僅かな情報を噛み締めた。あの子達は、お腹を空かせてわびしい思いをすることも無く、暖かな布団でぐっすり眠って。なんにも無いだだっ広い草原で転げたり、ジャングルを探検したり、波の穏やかな海で泳いだり。それからデジモン達の村に招かれたり、始まりの町でデジタマが孵るのを見守ったりも。普通の子供からしたら些細なことも、彼らにとっては特別なもの。

「良かったね。あの子たちには、出来るだけ楽しい思いをして帰ってきて欲しかったんだ」
「だよなあ!あいつら元気にしてるかなあ……」

一乗寺くんと大輔くんは目を見合わせて黙り込んだ。それからボクの方を見る。ああ、もう喉まで出掛かってる、多分同じ気持ち。

「デジタルワールドに行きたいねえ!」
「だよなー!どうして行き来自由じゃねえんだよっ?どう考えてもわかんね」
「うーん。……あの子達が人見知りする……からとか?」

多分、一乗寺くんの言うのが正しいんだろう。今までいろいろ辛い思いをしてきたわけだし。今いろんな子どもたちがデジタルワールドに行けたとして、あの子達に会ったらどう思うだろう。どう接するだろう。子ども同士のルールって、時として残酷だったりするから、彼らはきっと排除されてしまうに違いない。現実世界でもデジタルワールドでも、どちらにも居場所がなくなったとしたら、あの子どもたちは今度はどこに向かうだろう。そう思ったら、この状況は当然の結果な訳だけれど。あの子達が楽しい思いを満喫してるのを、邪魔したいなんて少しも思わない。でもね、でも。

「あいつらデジタルワールド貸切りかよーーーっ!羨ましいゼ!!」
「一日くらい、出入り自由にしてくれたら良かったのにーーーっ!」

大輔くんは大声で叫んで、ドリルを上に放り上げた。でも悔しそうでは全然なくて、心の底から楽しそうな様子だったから、ボクもついつられて拳を握って大声で叫んでみた。一乗寺くんはさすがにつられずに、物静かな笑顔を浮かべた。それから、彼はほんとに何気ない様子で呟いた。

「うん、すごくワームモンに会いたいよ」

‘すごく’の部分に思いの丈が詰まってるみたい。相変わらず穏やかな表情のまま、一乗寺くんがそんな事を言うものだから、ボクも大輔くんも言葉を失くして一瞬黙り込んだ。ボクがふわふわのお腹を思い出してるのと同じように、大輔くんはまん丸な頭を思い描いているんだろうし、一乗寺くんは……なんだろう?赤く鋭い爪?うーん……きっと潤んだ大きな瞳を、視線の先の虚空に見ているのだろう。ほんの少しだけ感傷に浸って、でもまだリアルな感触と、暖かな温もりが胸の奥に蘇ってくるから、ボクは幸せでとても満ち足りていた。

「近いうち、会いたいな。会えるといいな」
「ん、多分もうじきね」
「夏休み中にっていうのは……ちょっと無理かもしれないけどね」

あの子達がパートナーと一緒に戻ってくる頃。今年の夏は、なんだか夏らしい夏じゃなかったから、あんまり遊んだーって気がしなかった。だから皆で会えたら、焼けた砂の上をはしゃいで走り回ったり、丸ごとのスイカを分け合って食べたりしたいな。それでこっちで充分楽しんだら、今度はデジタルワールドで。ボク等が望めば、いつだってそこで長い夏休みが約束される。子ども達がそこを必要とするのと同じくらい、そこはボク等を渇望している。

「あー……その前に大輔くんがドリルをやっつけちゃわないとね?」
「うげ、やな事思い出したっ!」
「さ、しっかり終わらせようね、大輔」

今はすぐには行けないけれど、ちゃんとデジタルワールドは存在していて、いつか必ずもう一度ボク等を受け入れてくれる。ボク等が再びその地を踏むのを、その日を待ってくれている。そして、辛い出来事に押しつぶされ、損なわれてしまわないように、ボク等を受け止めてやさしく包み込むために、この先もずっとそこにあり続けてくれるのだ。泣き虫でいつも何か足りないと感じてた幼いボクを、独りよがりだったサッカー大好き少年を、いったんは闇に囚われてしまった寂しげな瞳の男の子を、何度も受け入れてくれていたみたいに。そこでは穏やかな風が頬を撫で、望まれて存在しているという事の充足感と共に、ボク等は再び満たされるのだ。











END




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