雨の降る場所





3






『青く澄んだ空、僕たちはどこまでも歩いていく。途中で喉が渇いたら、綺麗な川のせせらぎに手を浸して、その水を飲めばいい。食べられる木の実を探して歩いていこう。僕は、僕たちは新しい世界を手に入れたんだ。幽霊マンションの敷地の片隅に作る秘密基地みたいな急場しのぎじゃないやつ。僕らが居なくなったところで悲しむ人なんか一人もいやしない。それどころか、せいせいしてるんじゃないだろうか。居なくなったことにすら気づいていないかもしれない。僕はもう、あちら側には戻らない。戻らなくても寂しくなんかないんだ。僕にも他の子にもそれぞれ……パートナーがついているんだから』



……




ベッドの横に客用布団を敷いて、ほんとは一晩中だって起きていたいけど。二人に共通の友人たちの、最新の話題も大方底を付いてきて、そろそろ寝なくちゃだねって頃になったら君は突然真顔でボクに。

「今日は……なんというか。……ありがとう」
「えっ?!」
「一人で居たら、ずっと考え込んでいたままだったと思う……」
「ボクの方こそお礼を言わなきゃ。それって多分、みんな同じだよ。釈然としないものを抱えたままだと思う」
ボクの目の前に、君が背筋を伸ばして座ってる。ボクはわかってるんだ。君がこんな無防備なのも、パートナーを失って不安で堪らないからなんだって。そこまで知ってて、だけどボクは自分を抑えきれない。だってボクは君が好きなんだ。
ずっと隠し通そうとしていた思い。膝でにじり寄って、ボクは目の前の薄い肩に手を置いた。不自然に思われないようにさりげなさを装って。

「一人で抱え込まないで、もっとボクや……大輔くんなんかに何でも言ってよ」
「……なんで君は、そんなやさしいんだ?」

ほとんど聞き取れるか聞き取れないかって位の声で、君が聞く。なんでやさしくするかなんて、そんなのいちいち言葉にしなきゃ君にはわからないのかな。そんなの決まってる。古今東西、人が誰かに特別優しくする理由なんてひとつしかな い。相手が好きだから……だ。それはもちろん異性との間にしか派生しない感情ではなくて、もっとこう……人類愛的な意味も含めて……なんだけど、今のボクに関して言えば、つきつめてもっと。ボクは君を抱きしめたい。君を抱く腕に力を込めて、君の閉じた瞼に、頬に、唇に、キスしたい気持ちで一杯なんだ。そんなある種凶暴ともいえるほどの感情のうねりをどうにか鎮めたボクは、細心の注意を払って君の肩を抱きこむ。おかしいかな?ボクはこの瞬間、ものすごく幸せだった。君の髪に顔うずめる。抱きしめられて慌てた君が振りほどこうと、無意識に身を捩るのを感じて、思わずボクは口走る。

「多分ボクは君が好きだ」

君の動きが止まる。心臓の鼓動がうるさい。きっと君に伝わってしまう、気付かれてしまう。それはだんだんと早くなって、ボクを急かす。君が何か言う前に早く……。決定的な否定の言葉を言われてしまう前に。

「仲間として……じゃないと思う。それ以上の……」

一乗寺くんがボクの胸を押し返して、まっすぐに見詰めてくるから、どぎまぎと視線を逸らせてしまった。君がボクの告白に、即座に笑ったり、ごまかしたりしないでくれる事が救い。あるいはそれが却って重荷。まっすぐ見つめてくる君の視線がものすごく痛い。永遠に続くかとも思われる長い沈黙のあと。ゆっくりと君の唇が開く。言葉を慎重に選んで、君は言う。

「君は何を……僕に望んでる?」
「何も……ただ一緒に居たい、話がしたい。君はどんな曲が好き?どんな本を読むの?」
「ははっ。僕たちは、お互いに知らないことだらけだね」

じゃあ……って君は微笑んで、簡単な自己紹介から始めるから、ボクもつられて笑ってしまった。それから、君の好きな音楽、好きな作家、果ては好きな食べ物なんてところにまで話は及んで、ボク等の夜はいつまでも終わらない。





ふと気が付けば、外は明るくなってきちゃっていた。鳥のさえずり、動き出し始めた街の喧騒。カーテンの隙間から漏れる白い光。

「あー、夜明かししちゃった」

頭をめぐらせ外の明るさを確認して、君は苦笑いしてみせる。それだけで、ボクは胸が一杯になる。君を一晩独占しちゃったんだ。こうして、時間はあっという間に過ぎ去っていった。僕たちはパートナーと引き裂かれた痛みを抱えそれと共存して、その傷を隠しながら、何事もなかったように表面を取り繕う。夜のやさしい感触は跡形もなく消えて、いまや明るい日差しに全てが暴かれた。夕べのあの君の涙も、震えるこぶしも、朝の光の中では何もかもが薄っぺらで、夢の出来事のように思える。あんなに近いと感じた二人の間の距離も、君の体温も。夜明けとともに全ての魔法の効力が消えてしまったかのように思えるから、ボクは不安に覆われる。君が、たまに辛くて息が出来なくなるときは、ボクを頼ってきて欲しい。口には出さずに、強くそう願った。君も何か思うところあるんだろう。会話が途切れて見詰め合うボクたち。黒目がちの目が、何も言わなくとも何かを主張しているように思える。引き寄せられるようにお互いの距離が縮まる。ゆっくりと君の目が閉じて、そして再び開かれる。物言わぬ黒い瞳は、雄弁に物語る。長い睫が頬に陰影を作る。吸い寄せられるように唇が触れた瞬間、玄関を開錠する音にボクたちは飛び上がった。ドアを叩く音に続いて、徹夜明けの母さんの疲れのにじんだ声が聞こえる。

「タケルー!起きてるの?何か作る?……あら、いらっしゃい!」

母さんが、いつもの調子で勢いよくドアを開け放って、ボクの傍らに座る友人に気付き、驚きを隠そうともしない。髪を整えながら言葉をなくしてボクと一乗寺くんを交互に見るから、ボクは妙に慌ててしまって。下手な言い訳が口から出るまま、母さんを部屋から追い出していた。一乗寺くんが驚いて固まってるのを、目の端で捕らえながら。君の顔がほんの少し赤いように見えるのは、錯覚じゃないよね。ボクだって同じ、ものすごく頬が熱い。もし母さんの帰りがもう少し遅かったら、ボクたちは何をしようとしていたんだろう。





……






『僕たちの新しい秘密基地には何も悪いことは起こらない。僕は眠る前に、自分が消えてしまえばいいなんて、もう祈らずにすむんだ。暖かな寝床、贅沢を言わなければ、食べ物だって悪くはない。僕は、僕たちは、もう何者にも脅かされずに生きていける。僕とパートナーと、そして仲間たち。朝の光で自然と目が覚めて、その日一日に何をするかを決めるのは自分。危ない目にあいそうになったら、頭を抱えて隅っこで震えていなくてもいいんだ。パートナーが僕を守ってくれる。僕もパートナーを守る。そして、この世界で僕たちは生き延びる。そういう道を選んだんだ。だから誰も僕たちに元の世界に戻れなんて、どうか言わないで』










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