New world





2






「厳しく問いただしてくれた方がどんなに」

ボクは溜め息を吐いて、ぼんやりしてる君を抱きしめる。

「大変だったんだね」

そう言っても何の慰めにもならないよね。過去形じゃない、今もきっと君の帰りを今か今かと、一日千秋の思いで待ってる人が居る。

「どうしたらいいだろう、僕は」

ボクの肩に頭を預けて、君はつぶやく。艶やかな髪、香り立つ。

「好き。一乗寺、大好き」

「僕も。すごく会いたかった」

君の事情、分かってなくてごめんね。しかも不用意に傷を残したのはボクだ。抱き合って君の温もりを感じてると、ボクの心の中が満たされてく。会えなかった時間も、君を恨んでいた事も全て、ボクの中から流れ落ちる。君と一緒に居られるのなら、ボクは何でも差しだせるのに。

「君の家に行く」

「そんな事……」

君は諦めた目をしてボクを見る。だって、もっと一緒に居たい。君を抱きしめて、高みに手が届くまで、二人で共に禁断の果実を。

「駄目に決まってるよ。それこそ友達に会いに出掛けるのさえ制限されてしまう」

そうだね、君は今までだって。抑圧されて、弄られて、ほんとの気持ちを言う事さえままならなかったというのに。

「じゃあ……」

ボクは慎重に言葉を選んで。しばらくは大人しくいい子にしてよう。でもボクの心の片隅では、別の思いが。ねぇ、全てを捨てて、手に手を取って恋の道行き。ボクは全てを振りきって、君とどこまでも逃げていきたい。誰もボクらを知らない場所で、二人きり。その時ボクの脳裏に浮かんだのは、もちろんデジタルワールドだったんだけど。しばらく、そうだな2、3ヶ月くらい、ほとぼりがさめるまで。だってボクは、あっちの世界に行きっぱなしで、なんとか生きてこれたんだから。でも実際に、ボクの口から出て来たのは、ありきたりの慰め。何の役にも立たない。

「時期が来ればきっと自由になるよ。今日もあんまり遅くならない方がいいね」

黙って頷く君は、ゆっくり立ち上がる。

「もう帰るよ、今日は会えて嬉しかった」

ボクは言葉も無く、君を見つめる。君のまっすぐな強い視線、だけど目の縁が赤い。ごめんね、何の力にもなれない。そっと抱きしめて、唇を寄せる。ボクに体を預けて腕の中、くったりと力が抜ける。こんなに君が欲しいと思った事はないよ。薄く開いた唇、ボクを待ち受けて微かに震える。ボクは今までで一番やさしいキスをする。

「帰らずにずっとこのまま居られればいいのに」

脱力してボクを見上げてくる、君の熱に浮かされた瞳。ボクは凶暴な程の欲を抑えられない。熱を重ね合って二人で高みに昇りつめ、微かな喘ぎと共に白い迸り。それでおしまい。白い頬がうっすらと上気して、君だってこれだけじゃ物足りない。しばらく抱き合って熱を冷まして、そして……、君が消えた後の部屋は寒々しくて、ボクは一人で自分を呪う。そして後悔と、逃しきれなかった熱に魘されつつ、夕闇の中、ボクは意識を閉ざした。しばらくそうしてまどろんでいれば、直視したくない世界から逃れられるとでもいうように。ふと気が付くと部屋の中は真っ暗で、ボクの前には一乗寺が立っていた。もう帰った筈なのに。

「高石、どこか遠くへ行こう」

低く囁く君の声を聞いた途端、弾かれたように立ち上がって、ボクは君の手を掴む。乾いてひんやり冷たい、君の手の感触。でも無理だよ、ほんとはそんなの出来る筈ない。食べるもの、寝る場所、学校だって始まっている。第一、親が大騒ぎするだろう。だからボクが現実にそんな暴挙に出るわけはない。でもそのときはどうしてだか、君の手をぎゅっと掴んで、ボクは空いてる方の手でデジバイスを掲げていた。





なるべく人に見つからない場所、デジタルワールドでも今まで立ち入った事の無い所。鬱蒼とした木々を抜け、絡まる蔦を払って。

「あっ!」

一乗寺が小さく声をあげた。振り返ると、肘の内側を押さえて君は立ち竦んでいる。

「どこか痛くした?見せて」

半袖のシャツからすんなりと伸びた二の腕を、君は素直にボクの目の前に差し出す。柔らかな皮膚、赤く線が縦に引かれてる。見る間に線は盛り上がってきて、赤い玉が膨れる。ボクは無意識にそこに唇を寄せて、その玉をな舐め取る。口の中に広がる鉄の味を味わうと同時に、一乗寺の体が震えた。ボクはゆっくりと一乗寺の体をその場に押し倒す。下生えの草の香りに咽返りそうになる。戸惑いながらも君は、ボクを受け止めてくれる。抑えきれない程に膨れ上がった欲望が、ボクの中ではちきれそう。蔦が君の腕に付けた、うっすらとした傷に唇を寄せながら、服を脱がせて行く。白い体、胸に残る傷跡、未だに血を滲ませる新しい傷口。いつになくボクは昂ぶって、君に荒々しくしてしまう。堅く目を瞑って、そんな行為にも耐えようとする君が愛しい。ボクは息を吐いて、なるべくやさしく、君が後で熱なんかださないように、慎重に体進めた。柔らかい果実、堅くしこる迄執着して、歯に当たる心地よい感触を楽しむ。時折撥ねる体、掠れた声を上げさせて、それで満足。君の立ち上がったそこを包み込み、軽く上下させる。惜しみなく溢れさせて、ぬめらせボクを誘う、言葉とは裏腹な、淫らな君の一部分。ひたひたと、波がボクに押し寄せる。

「好きだ、一乗寺」

折り曲げられた体の奥の、茫洋とした瞳に告げる。それは、一瞬ボクを捉えて揺れる。君の最奥、深い所がボクを包み込んで、蕩けさせて、二つの意識が一瞬混ざり合う。ボクは混沌とした渦に巻かれて、そして何もわからなくなった。 ぐるぐる回る渦を見つめていて、疲れたから目を閉じた。でも閉じた瞼の奥でも渦巻いてる。ずるずると渦に引きずられて、ボクは気が付いた。目を開けて、ゆっくりと体を起こす。引き戻される妙な感覚。いつもの部屋のいつものベッド、ボクは信じられなくて、しばらく体を堅くしてそのままで。手を見つめる。蔦の堅い感触、柔らかな草の湿った匂い。さっきまでの確かな感覚は、今ではどうも頼りない。

「時間は?」

ぐるりと振り返る。ボクが部屋で頭抱えていた時から、一時間と経っていなかった。小さく君の名を呼んでみる。応えは無く、暗くて冷たいしんとした空気だけ。




学校は空虚だ。何も意味はなく、ただそこにあるだけ。空っぽのボクが存在するのにふさわしい場所。滞りなく時間を消費して、感情の起伏さえ表さない。ボクがここで学んだのは、退屈してても叫び出したりしないでじっとしていられる方法。今までの勉強の成果を、ボクは他人事のように賞賛して、内心拍手喝采。そしてボクは、本当の空虚を気付かれる事なく家路に着く。君が居なくちゃ、晴れた空もフォトグラフ。どこか余裕じゃない?こんな風に感じる事さえ。

『君はデジタルワールドに行った?』

あれは錯覚じゃない、確かに君はボクと居たのだ。メールの返信はすぐに返って来て、ボクはD−ターミナルを開くのももどかしく。君の言葉で綴られる文章、ボクは食い入るように目を通す。

「君の家から真っ直ぐに帰った後は、どこへも行ってない。ただ……」

逸る気持ちに上滑りしそうになるのを堪えて、字面を追うことに専念する。

「帰る道すがら考え事をしていて、気が付いたら家の玄関の前にいた。不思議な時間の経過だった」

良く意味がわからなくて、何度も読み返した。そしてそのメールは、こんな言葉で締められている。

「こんな事も乗り越えて、いつか君と会いたい時に会えたらと思う」

ボクは取るものも取り敢えず、財布だけを引っ掴んで部屋を飛び出した。珍しく母さんがこんな時間から戻っていて、僕に行き先を聞くけど、友達んち!と短く叫んで、ボクは走った。駅は目の前、ちょうど滑り込んできた電車に飛び乗った。心臓が激しく鼓動して、息を整える為にドアに凭れて目を閉じた。火照った顔に冷たいガラスが心地いい。昨日の君が見せた戸惑いの視線、抱きしめて口付けして、それに応えてくる柔かな唇を思う。熱い頬は治まるどころか。瞼の奥さえ熱い、君を思うと。……どうしてこんなことになっちゃったんだろう。








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