アレゴリーの海 「ねえ、ボクも貝になってもいいかな?」 「・・え?それは構わないって言うか。・・自由だろ。」 「なんだかさあ、こうしてると海の底もいいなあ、なんてさ。みんなと一緒になってぐるぐる回ってるのなんてバカみたいだよ。」 「あはは。」 よく飽きないよ、また一乗寺は水槽を見上げる。ボク達は貝なんだ。食べられたり傷ついたりしないように硬い殻とトゲをつけて、海の底から回る魚達を見上げてる。でもさ、君はそれでいいの?もし一緒に遊ぼうと誘うのがボクじゃなかったら? 「あのさあ、水族館と貝のお話・・っていうか。考えたんだけど。食休みっていうか。暇つぶしにさ、聞いてくれる?」 唐突な申し出に、一乗寺は振り返って僕を見る。 「お話・・って?」 「うーん。誰にも言ってないんだけどさ。ボクのシュミっていうか。」 ホントに誰にも言ってないんだ。なんでいきなりここで一乗寺にその話をしようだなんて。 「小説みたいなもの?」 「まあ、そんな感じ。童話っていうか。」 「すごいじゃないか!何故みんなに言わないんだ?」 「恥ずかしいじゃない。大輔くんなんか死ぬ程冷やかすだろうし。」 みんな、あまりそういうの興味なさそうだしね、って僕は手の中でもみくちゃにした帽子を畳み直す。 「光栄だな、僕が最初の読者ってわけだ。」 「読者っていうんじゃないけどね、口頭だから。」 盗み見た一乗寺の顔はまっすぐこっちを見てて、純粋に僕だけに向けられた笑顔。 「聞かせて欲しいな。」 「ホント?つまんなかったらすぐやめるから、言ってよね。」 「あはは、そんな。はやく始めてよ。」 ボクはすうっと息を吸う。 「それで、どうなったんだ?」 「おしまいだよ」 「え?だって」 「うーん。なんていうか。これでおしまいなんだ」 ボクはぼりぼりアタマを掻く。出来がどうだかなんてわからないけど、一乗寺は神妙な顔をしていて、とにかく照れくさくて身の置きどころがないって感じ。 「今の話、何か教訓が?」 真面目な顔で一乗寺が言う。 「え?そんな。教訓なんて。教科書にのってる話じゃないんだから」 ボクはあわてて手を振り回す。 「僕が貝になりたいと言ったから?」 「まさか!全然関係ないよ。ただ、出て来ただけなんだ。」 「出て来た?」 「お話って、勝手にそうなっちゃうんだよ。こういう風にしようっていうんじゃなくて。」 「・・そんなものなのかな?」 顎に手をあてて、ちょっと疑わしげに。いくらボクだって当の本人相手にさ、あんな話をわざと。 「そうだよ、でなきゃ、人に聞かすんならもっとさ、ハッピーエンドなヤツにするよ。」 「作家の秘密ってやつかな?」 一乗寺はちょっと笑った。ボクはものすごくほっとした。一乗寺の後ろに光を放ってるみたいに明るい大きな水槽がある。この水槽が今もし壊れたら、ボク達はどうなってしまうんだろう。ここはほとんど最下層だから、まず助からないだろうな。そしたら君は望み通りに貝になれるよ。キレイな半透明の白い中身と、虹色の内側を黒い殻に隠した小さな貝に。 「高石?」 「あ、ごめん、何?」 「時間・・」 「わ、そうだったよね。」 そうだった、人間は貝になったりしないんだ。 ボク達はそれぞれ土産を買って、潮風に吹かれながら土産物屋の暴利についてひとくさり、まあ、主にっていうか、ほとんどボクだけが。青い海は消え失せて、夕焼け空の下バス停へと向かう流れがあるだけ。それじゃまた、って手を振って、流れに呑み込まれていく一乗寺は、本当に大きな魚に食べられているようで。 ぐしゃり、と潰れてはみ出たほの白い柔らかな中身。虹色の内側を覗かせる殻の破片。 「・・一乗寺!?」 振り返りもしない、あっと言う間に見えなくなって。 「・・参ったなあ。」 帽子を目の上まで引き下ろして、夕陽を遮断する。 こんな事なら、さっさと食べちゃうべきだったよ。ボクだけが、比喩の海から抜け出せないまま、とり残される。 「ごめん、一乗寺。ボクはやっぱり貝には向いてないよ。」 ぐるぐるまわるロータリー、帰らなくちゃ、パタモンも待ってる。 「ま、いっかあ!」 ボクは帽子をなるたけ高く放り上げる。夕日に目が眩みながらもなんとかキャッチして。軽くなったデイパックを乱暴に肩に掛けて歩き出す。 〜おわり〜 |